天文学自体が、現在のある程度裕福な(趣味や 娯楽を楽しむことのできる環境にある)社会に置いては、理学の中では、最も"人間が生きる営みの中で必要とされる芸術性、美学"と"学問としての実利性"のバランスがとりやすい学問の一つであるため、文字通りアカデミックであり、そもそも、人々の根元的な興味との調和がとれやすいからだと思います。

メディアのおかげではあると思うが熱心にというのはちがうでしょう

9は、何をやっているかよく分からないと思われている、あるいは、自分たちの良く分からない小難しいことを何かやっていると思われている。

(10.の押したボタンがキャンセルできないのですが)あんまり具体的には考えていないような気がします。

漠然とした知識として知っている

一般の人は、”机に向かうか対象を観察している人+研究対象”を??学者として認識しているため。

一般の人の定義はあまりに広義でありすぎる。

天文学は天文学者が行っていると言う誤解がある。世間からかけ離れたものである。と言う認識。

天文学がそれなりに社会に知られている

宇宙科学と天文学が丁度”科学技術”という誤解を招く言葉と同じように、一緒になっています。宇宙工学という華々しい成果と、本来成果がでにくい天文学の区別がつけられない、もしくは付けても、広報にとっては意味が無い、状況を日本は地学教育の歪みから育ててきました。あるめんで、ロマンをもとめる、またはもう少し我田引水的にいえば、個人個人の印象、知的好奇心を満たすべく純粋な行動規範(学問、とよぶのは固すぎるでしょう)としての天文学、という捉え方が希薄になっている現状を憂慮しています。

そもそsも科学者全体のイメージがつかめていない上、天文学者はさらにマイノリティなので、その実態は良く伝わっていない?


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