京大天文台


京大本部構内の時計台西隣に1925年に完成した宇宙物理学教室北館と南館、中央に同年完成した時計台も見えている。右図:CG復元した宇宙物理学教室建物(通称「京大天文台」)


 ここでは科学史に関係する歴史的建造物や景観の再現をしてみます。上の古写真は筆者が所属する京大宇宙物理学教室が90年前に創立された当時の建物です。時計台の西隣りにこうした建物があり、京都市民から「京大天文台」と親しみをこめて呼ばれていました。その右の南側にはアインシュタインが1922年に京都大学を訪問したおりに講演し、また湯川博士が学んだ旧物理学教室がありました。物理学、宇宙物理学両教室は1939年に今の北部キャンパスに移転しています。旧物理学教室建物は学生部として現存、宇宙物理学教室建物は附属図書館用地として取り壊されてしまいました。


大正15年ころの京大本部キャンパス、再建された時計台の西側に宇宙物理学教室が新営された。右図:小赤道儀室、スリットは三分割で開閉。)

 古い写真はずいぶん残されておりますので、それをもとに復元してみました。月夜での観測風景になっています。観測の先生方が居られた北館と理論の先生方の南館が、空中廊下でつながれていました。手前にあるレンガ造りの小さなドームには、1910年のハレー彗星接近に際してドイツのザートリウス社から購入された18センチ屈折望遠鏡が設置されていました。このドームの観測スリットの蓋は、三分割扉になっていて手元のハンドルを回して開いたり閉じたりする珍しいタイプのものです。もうひとつ取り上げて説明しておきたいのは、1910年に竣工した小ドームはレンガ造り、1925年に竣工の宇宙物理学教室建物は鉄筋コンクリート造りです。その間に関東大震災があり、レンガ造りの公共建物が多かった東京は壊滅的な被害を受けました。文部省はそれ以降、大学の建物としてレンガ造りを許可しなくなりました。屋上の縁には名残として飾りレンガが使われたりしています。

 観測系のスタッフの研究室があった北館は屋上に9mドームを備え、できた当初に は33cmカルバー赤道儀が設置されました。翌年にはクック30cm屈折赤道儀におきか えられました。左の写真はクック望遠鏡の組み立てが完了した時に行われたクック歓迎会の写真です。赤道儀の柱に登っているのは荒木俊馬助教授(のちの京都産業大学総長)。二階には山本一清、上田穣の研究室が、一階と地階は実験室になっていました。理論系のスタッフの研究室があった南館の屋上にはブラッシャー25cm反射赤道儀がスライドルーフ観測小屋にいれて設置されました。二階には講義室、 図書室、新城新蔵、荒木俊馬の研究室がありました。一階には談話室と図書閲覧室がありました。そして、両館の間は二階同志が空中の渡り廊下でつながれており、一階におりずに行き来できるようになっていました。

 3mドームの南隣にある大正天皇の御大典記念として建てられた木造平屋が、中村要などのいた実験室になっていました。南館に隣接する大きな木造平屋家屋は事務室で、学生控え室もここにありました。そして、中庭にはバンベルヒ子午環、ハイデ10cm屈折赤道儀、太陽分光写真儀などが設置されていました。


京大天文台鳥瞰(インジケータをクリックしてください、何度でも見られます)
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南館の談話室につどう教授陣。右図:京大天文台で開催された市民天体観望会の様子。ハイデ10cm屈折赤道儀で星をみせている。

 簡単な部屋割り図なども残っておりましたので、出来るだけ忠実に再現しようということで、教官室、講義室、図書室、実験室、事務室、用務員室などの部屋割り全部を復元し、ドアや窓もすべて開閉でき、ドームや望遠鏡も動くようにいたしました。当時の京大天文台をまわりからぐるっと一周してながめるCGです。ドアを開けて教授室を訪問したり、ドームに入って望遠鏡で観測したり、リアルタイムで疑似体験をできるCGにしてゆきたいと考えております。


南館屋上のスライドルーフとブラッシャー10インチ反射(インジケータをクリックしてください、何度でも見られます)
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