性格:かなり暗そう。アガリ症でもある。しかし緊張すると顔が笑ってし まうので、そう言っても信用されない。他人を笑わせるのを好む。大学に 入った当初、将来は芸人になろうかと真剣に考えた時期もあったが、結局 才能の無さで断念する。
趣味:ここんとこは麻雀くらい。デジカメを手にいれてからは、写真を撮 る面白さにも目覚めてきた。これまでに撮った画像はかなり公開。よろし ければ こちらを見ていってください。
小説:阿佐田哲也。麻雀やる人間で「麻雀 放浪記」で燃えなかった人間はいないでしょう。「麻雀放浪記」は既に映 画化されている(出目徳と健がすばらしかった)ので、いつか「ドサ健博打 地獄」が映画化されないかなあ。灰谷健次郎 。人間の優しさ、強さというものを考えさせてくれます。「太陽 の子」「私のであった子供たち」では涙が止まりませんでした。芥川龍之介。ああ天才の書く文章とはこういう ものかと納得してしまいます。
生い立ち:
1970年7月6日
福岡県北九州市門司区の病院で、野上家の二男として生まれる。一つ上に
兄、五つ下に妹がいるが、兄弟揃って4100gというかなり大きめのサ
イズで生まれたらしい。
1972年
自宅前あたりで犬に吠えられ、恐ろしくて家に逃げ込む。以後、犬を怖が
るようになる。
1972年だか1973年
祖母の胃腸薬を一瓶の半分くらい一気飲みし倒れる。一命をとりとめ、医
者に「やたら生命力のあるお子さんですね」と言われたらしい。現在全く
鼻がきかない、つまり臭いというものがさっぱりわからないのだが、母の
言うことには、この時鼻血をダラダラながしながら倒れていたらしく、こ
のことが原因ではないかということらしい。
1974年
私立あけぼの幼稚園に入園。私立の施設に入った唯一の期間。実家は貧乏
(らしい)で、以後私立の学校には入学試験を受けたことさえない。
1977年
北九州市立松ケ江北小学校伊川分校に入学。2年生の時にはれて独立して
伊川小学校となる。確か僕の卒業当時140人くらい在校生がいたはずだ
が、現在数十名しかおらず、再び分校になるかあるいは統合されるかとい
う議論があるらしい。過疎の田舎というやつだ。
1983年
北九州市立松ケ江中学校に入学。中2の時に数年間貯めてきた金で、初め
てのパソコンPC−8801を買う。中学時代は部活の卓球と、パソコン
(主にゲーム)に明け暮れていた。
1986年
福岡県立門司高校に入学。高2の時に麻雀を覚え、高校時代は麻雀と卓球
とパソコンに明け暮れる。
1989年
北九州予備校(う、私立か?でも学費免除だったもーん)にて浪人。全然勉
強せず、授業中も寝てばかりだった高校時代とはうって変わって勉強マッ
シーンになる。
1990年
京大理学部入学。浪人時代とはうって変わって勉強をしなくなる。麻雀と
バイト(塾講)に明け暮れる。
1992年
3回生に上がる前に課題演習を何にするか思い切り迷う。結局よく麻雀を
していた友人に「お前何にすんの?」ときいて、「そりゃやるからには大
きな学問やろ。宇宙物理や、宇宙物理。」という言葉を受けて、「じゃあ
俺も宇宙物理にしよう。」と宇物に志望を出す。結局その友人は地質鉱物
学の方に志望を出していたことが判明する。5人のグループで、平田先生
指導の課題演習をやったが、最終的なレポートへの寄与は5人の中で最も
低かったものと思われる。
1993年
騙されて始めたような宇物だが、なんだか結構面白いと感じるようになる。
まともに就職したくないなあという消極的な理由で、宇物の大学院を受験
する。ろくに勉強してないもんで、まず落ちるだろうと思い、奈良先端科
学技術大学院大学も受験する。完全に奈良に行くつもりでいたら、宇物の
院に合格しており、たまげる。3人(増田君、馬場くんと僕)で上杉先生
(既に退官されました)&平田先生指導の課題研究を行う。最終的なレポー
トへの寄与は、やはり3人の中で最も低かったものと思われる。
1994年
京大大学院理学研究科に進む。平田先生を指導教官と仰ぎ、以後ダラダラ
と研究を続ける(ふりをしてる)。
1998年1月
このページを作り始める。