フランクフルトからプラハまではプロペラ機。狭い機内に 70人くらい乗ってただろうか。驚いたことに、この飛行 機に乗ってた人の三分の一くらいは日本人だった。なんか のツアー客とぶつかったのだろうが、せっかくの気分がな えなえになってしまった。
さて研究会があるのはチェコ第二の都市、ブルノ(Brno)。 プラハからは200kmくらい離れてる。空港では、向こ うの友達(会うのは初めてだ)の Rudolf Novak さんが待っ てて、ブルノまで連れていってくれることになってる。で、 探してみると、身長180cmはゆうに越えており、ちょっ と太っている(あとで聞いたら体重100kgは楽に越え ているそうな)兄チャンが``Welcome, DAISAKU" と書かれた プラカードを持って立っている。近寄っていくと、``Are you Daisaku?", ``Yes, Rudolf? Oh, Nice to meet you!" っ てなもんで、あとはいきなり打ち解けて、一緒に来ていた Novak さんの友人の Jiri Dusek さんと、Dusek さんの 彼女が運転する車(日本車ではなかったけど、チェコでも トヨタや日産の車はよく走っていると言ってた)でブルノ まで送ってもらった。
Brno では、すぐに研究会の方でとってくれているホテルに
送ってくれた。ホテルのチェックインでは、どうやら受付の
おばちゃんでは英語が通じないようで、Novak さんが気を
きかせてやってくれた。やり取りを一応聞いていたが、当然
のように宇宙語としか感じられない。Novak さんがいてくれ
て本当に助かった。
#ちなみにチェコ語の速修本を借りたり、「地球の歩き方」の
#覚えとくと役立つチェコ語みたいなページを見たりもしたん
#だけど、この時点で覚えていたのは Dobry den! (こんにちは)
#だけだった。で、覚えた語数はその後当然増えない。 :-)
この2枚は、ホテルの部屋の中。くらい画像で申し訳ないけど、左の写真で、
テレビをはさんでベッドが2つあるのがわかるだろうか。そう、この部屋はツ
インの部屋なのである。ホテルの予約を頼むときに、日程と食事を付けるかど
うかしか聞かれなったのだが、デフォルトでツインの部屋だった。というか、
あとから聞いた話だと、このホテルはツインの部屋しかないらしい。事前にこ
のことを聞いていなかったので、受付で「もう開いてるから」と鍵を渡されず
に部屋の前に来て扉をノックすると、全く知らないおじさんがランニングシャ
ツ+トランクスで眠たげに出てきたときには、かーなーり驚いた。
ちょっと話をしたら、このおじさん(Djurasevic という姓だが難しいのでこの 文章ではおじさんで通す)研究会の参加者だということがわかって、ちょっと 納得。部屋の一泊の値段が日本円にして約2500円で、僕はここに5泊した んだけど、そのうち2泊はおじさんと相部屋で一泊1300円くらい。約10 000円で5泊したわけだ。うーむ、安い。ただしトイレも風呂も部屋の外に、 10くらいの部屋で共通のものがあるだけ。こちらの安宿ではこういうのが一 般的みたいで、やっぱり日本との違いを感じる。
この日はホテルに荷物を置いて、8時過ぎでもう暗かったが研究会の会場の Nicholas Copernikus Observatory & Planetarium に連れていってもらった。
この2枚は(後日だが)会場を外から撮った物。残念ながら内部の写真はないけ
ど、大体日本にあるプラネタリウムと同じような物だと思う。ただしプラネ以
外の展示物は皆無に等しいようで、観測所としての意味合いが大きいようだっ
た。望遠鏡は据え付けのある程度大きな望遠鏡が4本あって、あとは一般の観
望会用の小さなものや双眼鏡などは結構転がっていた。左の写真の中央のでか
いドームがプラネのドームで、席は100ちょっとくらいだったか。このプラ
ネのドーム内でOHP を使って発表が行われた。
左の画像は観測用の望遠鏡が置いてある二階(スライドルーフ方式で屋根が開
く!)から一階に降りる階段付近。といっても何も見えない暗さですが。で、
右が口径20cmの屈折望遠鏡。これは一般の観望用に使われてるそうな。こ
の右の画像の白い壁の向こうに Novak さんが天文研究で測光をやっている4
0cm反射+STー7があったんだけど、画像は撮り忘れてしまった。制御室
はその部屋の一角を仕切って作られてるんだけど、暖房器具がなくめちゃくちゃ
寒い思いをしながら観測しているらしい。
違う場所では、この観測所最大の60cmの反射望遠鏡+分光器も見せてもらっ た。分散も結構高かったような気がするが、2〜3等星くらいの星の分光をし ているんだそうな。
ということで、初日の夜に研究会会場に連れてきてもらって、「明日からは一 人で来いよ」「ほい、了解」ということになったのだが、「んじゃあ飲みに行 こうか」という誘い。「いや今日は疲れてるから、これで」なんて断るわけも なく、勇んで Novak さん、Dusek さん、僕の3人でパブに行った。連れていっ てもらったところが、二人の所属する大学の学生寮の中のパブ。当然学生だら けなんだけど、皆地べたに座っていて、壁はペンキの落書きだらけだし、照明 はくらーくて、なんというか、 underground な雰囲気。という感想を言うと、 二人とも「まあこんなもんだ」と笑ってた。
で、Novak さんがビールを持ってきてくれた。self service らしい。日本で いう中ジョッキよりやや大きめのジョッキに泡がちょっとこぼれて、いかにも 旨そうなビールを手に「乾杯!」。こいつがまた本当にうまいんだ!聞くと種 類によって多少違うが、一杯10〜15クロン(本やガイドブックにはチェコ の通貨はコルナと書いてあるが、彼らはどう聞いてもクロンと言っていたし、 実際クロンと発音した方が通じた)だそうな。当時1クロンがちょうど4円く らいだったので、日本の約10分の1!!貧乏な学生としては、これを聞くと なおさらうまく感じる。あっさり一杯飲み干して、めちゃくちゃいい気分。 Novak さんにはもっとゆっくり飲めよとたしなめられたが、うまいもんはしょ うがない。勝手に手がジョッキを口に運び、ビールが喉をガッガッと通ってい くのだ。彼らはチェコの文化はビアカルチャーだと言っていたが、ビアカルチャー 万歳である。ちなみにチェコでのビールの値段はコーラと同じかやや安いくら いだそうな。そりゃビール飲みますわな。
結局ここではよもやま話をしながら、皆2杯ずつ飲んで解散となった。12時 過ぎにパブを出たのだが、まだまだパブは盛っていた。実にいい店である。京 大の近所にもこういう飲み屋はないかなあ。もちろん同じ値段で :-)
この後、Brno にいる間毎晩 Novak さんや他の学生さんと飲みに行くことになっ たのだが、面白いことにつまみというものを全く食べなかった。チェコではビー ルというのはそういう飲み方をするものなのか、金がない学生だからそういう 飲み方になるのか、あるいは他の理由なのかは不明である。
この日は解散したあと、すぐにホテルに戻って、ちょっと自分の発表の準備を して、とりあえず寝た。ぐっすり寝た。
次の日の朝、同室のおじさんはまだ寝てたので起さないようにそっと部屋を出 て風呂に入った。そこが浅くて長細い、あちらの漫画でよく見たような形状の 風呂だ。自分でお湯を張ればいいんだろうけど、なんだか変な感じがしたので、 とりあえずシャワーとして使い、頭や体を洗う。体の大きい外人さん(チェコ にいった日本人がこちらの人間を外人呼ばわりするのは尊大な態度?)がどう やって入るんだろうと思うくらい窮屈だが、いい気分だ。
風呂から上がって、起きてきたおじさんと一緒に朝食をとる。ホテルの受付で 食券をもらって、ホテルのレストランで食べるのだが、これが質素まくり。コー ヒー一杯と15cmくらいの細長いパン2本+マーガリン&ジャムとソーセー ジ2本だけ。確かにパンもソーセージもまずくはないんだけど、もうちょっと ちゃんと食べたいなあと思う。が、しかしこちらではそういうもんなのだろう から仕方がない。5泊ずっと朝食はこんなんだった。時にはソーセージ2本が 塩気のきいたチーズに化けていることもあって、朝食にはずっと不満だった。
朝食後はさっさと支度をして研究会会場に向かう。おじさんと一緒に行ったの だが、道中20分くらいずっと、ユーゴスラビアの天文及び社会状況を聞いて いた。内戦続きで天文台なんかはほとんど壊され、まともな観測ができる状況 ではないらしい。もともと観測屋であるこのおじさんは、しょうがないから過 去にとったデータでモデルフィッティングをやってるんだそうな。しきりにユー ゴスラビアの天文学の将来は暗いと嘆いておられた。
この日は人の発表を聞くだけなので、非常に気が楽だ。しかし、興味のある内 容の発表ではあっても、この日の発表はほとんどがチェコ語でやられており、 さっぱりわけがわからなかった。どうもチェコ周辺の言葉は非常に似ており、 チェコ以外の国からの参加者も内容はわかるらしい。チェコ、スロバキア、ポー ランド、ユーゴスラビア、イスラエル、ロシアからの参加者がほとんどで、言 葉に関しての問題はあまりなかったらしい。
研究会の最中は昼食は向こうで用意してくれたのだが、これもやっぱりなんだ か貧弱な感じ。スープと6cm角くらいのパン(クーなんとかいう言い方があっ たのだが忘れた)のスライス2切れに、そのパンに付けて食べるソースという かシチューというか、という感じのものが出る。あとはジュースを好みで、と いうくらいである。大体からして大食漢な方の僕にとっては量的に不満があっ た。ただしうまいのはうまかった。
この日は Novak さんとパブに行って、晩飯を食べた。Novak さんは晩飯は家 に帰ってから食べるというので、僕がビールとラム酒を一杯ずつ飲んでスープ +200gくらいだかの鮫(といっていた)のフライと付け合わせのまともな dinner、Novak さんがビール一杯とコーラとウインナーコーヒーを飲んだ。こ れでしめて800円ちょっと。僕からすればたまげるような安さなんだけど、 「僕が全部払うから」というと、「客に払わせるなんて、、、」と非常にすま ながられた。とりあえずこの日はこれだけで飲みは切り上げた。なんといって も明後日に自分の発表があるのだが、まだ OHP の準備が終わってなかったか らだ。アホだなあと我ながら思うが、研究会や学会などに参加して、現地に着 く前に準備が完了したためしなど皆無である。
夜中におじさんが寝てる横で、日本で作っていった一応の発表原稿と発表で使 う予定の図を眺める。もともと英語で喋るのは非常に苦手というか下手くそだ し自信もないのだが、今回の発表は Novak さんからやってくれと頼まれた、 40分割り当てのレビュー講演なのだ。失敗するわけにもいかないので、実際 の場では、原稿を読み上げるつもりでいた。しかし、この持っていった発表原 稿というのが、突貫工事で数日ででっち上げた代物で、まともに読んでみると まともに英語になってないわ構成はムチャクチャだわで、散々なものであるこ とに今更ながら気が付いた。
今思えば焦りまくっていい状況のはずだが、その時は何故か妙に落ち着いて、 「さすがに今からキャンセルはまずいよなー。なんとか格好はつけなきゃなー。」 等と考え、もう一度構成を練り直していった。不思議なもので、こう追い詰め られてみると不思議と作業はたんたんと進んでいくものらしい。いろいろと説 明の順序をいじったり、内容の追加や削除を発表原稿の紙の上にごちゃごちゃ 書き込みながらやっていった。ある程度内容がまとまったような気がしたのは 何時くらいだっただろうか。完成したわけではなかったが、眠気に負けてその 日は寝てしまった。